御朱印 No.62 松陰神社 (東京 世田谷区)

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― しょういんじんじゃ ―

吉田松陰をお祀りする、学問・至誠の神様。
吉田松陰⇒毛利藩士であった杉家の次男として生まれ、6才の時、叔父(享年29才)の急逝により吉田家の後継ぎに。
山鹿流兵学師範となるべく、叔父、玉木文之進の厳しい指導を受け、10才で兵学師範として教壇へ、11才で藩主の御前で講義。
19才で兵学師範として独立。
21才から諸国修業のため北は青森から南は長崎まで、5年足らずで13000kmを歩く。
1854年、前年、黒船を見て衝撃を受け下田に再来航したアメリカの軍艦に乗り込み密航の交渉をするが失敗。
自首し1年2ヶ月の間、投獄される。
その間読んだ書物は600冊以上。
囚人たちにも講義をした。
1855年、獄を出て松下村塾を主宰。
その後幕府を批判したことにより再び投獄。
1859年、江戸で処刑。29才でした。

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「身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留置かまし 大和魂

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4年後、門下生(高杉晋作伊藤博文)らにより世田谷の地に改葬、1882年、墓畔に社を築いた。
今日の社殿は1927年~3年かけて造営されたもの。

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吉田松陰さん、メチャクチャすごい方だったんだ❗👀❗と、初めて認識しました、今ごろ?!ですが💦💦
しかも、処刑で亡くなっていたなんて。
29才、なんてもったいない。

昔から歴史にいまひとつ興味のない私。
日本史も年表覚えるのが関の山。
深く掘り下げることは全くありませんでした。
過去は振り返らないがモットーなもので(笑)
言い訳です💦💦
今があるのは過去があるから。
いやいや、歴史を知ることは大事ですね。
年と共にそう思うようになりました。
今まさに学びの日々です。