―けんとくさん えりんじ―
1330年 二階堂出羽守貞藤が夢窓国師(禅僧)を招き自邸を禅院とし創建。
その後、武田信玄の尊敬を受けた美濃の快川(かいせん)和尚の入山により、1564年信玄自ら寺領を寄進し菩提寺と定める。
1576年、3年の秘喪の後、信玄の盛大な葬儀を厳修したが、1582年武田氏は滅亡。
同年織田信長の焼き討ちにあい快川国師は100人以上もの僧侶等と供に火に包まれた。
その時残した言葉が「安禅必ずしも山水を須(もち)いず、心頭滅却すれば火も自(おのず)から涼し」
本能寺の変により信長敗れて後、徳川家康により復興。
柳沢吉保の庇護のもと寺運は発展、吉保夫妻は菩提寺として霊廟を設けた。
最初の門が「黒門」(総門)、続いて「赤門」(四脚門)、そして「山門」と三つの門をくぐる。
「赤門」は徳川家康により再建された当時のものと伝えられ国の重要文化財。
「山門」は織田信長の焼き討ちの際快川和尚が炎に包まれた場所に建つ、県の重要文化財。
また庭園は国の名勝指定を受けている。
武田信玄、柳沢吉保の墓所がある。
ものすごく私好みの寺院の趣、なのです。なのですが、記憶が乏しいのです😨
これは涙です😢
唯一はっきりと覚えているのが「うぐいす廊下」
ホントに音がする~🎵と楽しんだのです。年甲斐もなく😅💦
もちろん、人目を憚りながら👀💦😂
境内に日本有数の大庫裡(だいくり)(寺の台所、住まい)があります。
家康再建時のものは明治38年の火災で焼失、現存するものは明治末期に再建されたもので、戦中には東京の学童疎開の場となり小学生約150人が寄宿生活を送ったそうです。
建造物自体は歴史があったり彫刻があったりではありませんが、全体の醸し出す雰囲気は静寂で、静かにゆっくりと時間が流れて行く場所だと感じました。
自分で撮った写真を見ながらですが。。。😵💦