―こまじんじゃ―
江戸時代まで「高麗大宮大明神」「大宮社」などと称されていた。
御祭神―高麗王若光(こまのこきしじゃっこう)、猿田彦命(さるたひこのみこと)、武内宿祢命(たけのうちのすくねのみこと)
666年、唐と新羅の征討により滅亡した高句麗の使節団の一員として日本に渡来した若光は大和朝廷に官人として仕え、外国の王族出身者に与えられた「王(こきし)の姓(かばね)」を授与される。
高句麗人1799人かるなる高麗郡の長官に任命され指揮、開発に尽力しこの地で生涯を終える。
郡民はその徳を偲び御霊を祀り守護神とした。
近代に至り若光の史実に惹かれた政治家、文学者、歴史家らが訪れ、総理大臣に就任した政治家が相次いだことで「出世明神」と称されるようになった。
垂れ桜がきれいだということで桜の季節に訪れました。
老いた大木に咲く薄桃色のさくらの横には国指定重要文化財の高麗家住宅が佇んでいました。
垂れ桜と茅葺き屋根の風景が400年の時を巻き戻しタイムスリップしたかのようでした。
また、鳥居の近くには「将軍標」というトーテムポールのような石柱が二本立っていました。チャンスンと呼ばれる朝鮮半島の魔除け、道標とのこと。
とてもユニークな顔をしていました。